ごっちは彼女と結婚し嫁や息子がいる?カップは?出身高校や大学はどこ?

おらん。

 
先日の自主企画の記事へのアクセスがまあまあ多くて、それにつれられて昔の自己紹介の記事もアクセスが伸びており、自意識過剰な僕は「あ、なんか興味持たれてる」と思い、ちょっと詳しく自己紹介を書いてみようかなと。
 
てかGoogleアナリティクスすごいな。記事ランキング以外にも、読者の方が直接僕のブログにアクセスしてくれているのか、Twitterから来たのか、検索経由で来たのか等までわかってしまう。
 
 

パクることを覚えた小学生時代

地元の小学校に通ってました。習い事は硬筆、習字、器械体操、水泳などをしていました。器械体操のせいで背が小さいんじゃね?

野球などのチームスポーツは、「自分のせいで負けたらいやだ」という理由でほとんどしませんでした。協調性がないのはこのせいかもしれない。
水泳が一番成果が出ました。といっても市の大会に出たくらいですけど。
なぜ成果が出たかというと、好きな子がめっちゃ水泳上手だったんですよ。で、その子の泳ぎ方をパクリました。自己流でやるよりうまい人の真似をした方が早いというのは、当時意識はしてなかったと思いますが、近道ですよね。
で、中学校にあがる頃にナイキのエアマックス狩りなどが全国的に流行って、特に地元の中学校は「廊下を原付が走る」「屋上からイスが降ってくる」くらいの、いわゆる田舎の不良中学校って感じでした。
母親から「あんなところに行かせない。中学受験しなさい」と言われ、国立の中学校を受験することに。塾や家庭教師をつけたおかげもあって、1次試験は合格。なぜか2次試験が親のくじ引きなんですが、それも運よく当たりで合格。
小学校の友達とはこのタイミングでお別れで、玉砕覚悟で得意料理だった卵焼きを持参して告白した水泳の子にも無事フラれました。今でも卵焼きは得意です。

周りがかしこかった中学生時代

幼稚園から中学校までエスカレーター式の学校に中学校から入ったんですが、さすが国立の中学校だけあって医者とかのサラブレッドな子供が多くて、入学当初は成績が200人中150番とかだった。

途中から入ったのに運よく友達は(少し)できたんですが、「こいつらと仲良くするには僕も勉強しなければ」みたいな謎の使命感が湧きあがり、勉強を頑張りました。
今思えば環境って大事だなと。親は2人とも「勉強を頑張ってきた」タイプの人間ではないけど、よくぞこの中学校に放り込んでくれたなとヒップホップの歌詞ばりに感謝しています。
部活は友達が入るからという理由でバスケ部に入ったんですが、最初は全く練習せず、幽霊部員でした。しかし、ある時友達の家でスラムダンクを呼んで完全に影響され、練習しまくりました(当時スラムダンクの連載は終了していたが、I”sを読ませないためかうちでは週刊誌の購読が禁止だった)。
最終的にレギュラーになって、引退試合でシード校に負けて涙を流すくらいは打ち込みました。
で、この中学校の大多数が行く県立の高校へ。この頃からなんとなく実家の会社を継ぐことを意識していたように思います。父親の背中しか知らないし。
ちなみに、実家の会社はじいちゃんがやり始めた金属関係の会社で、メインの株式会社とサブの有限会社があります。来年で60周年。業種としては非鉄金属卸売業で、従業員数は100人以下なので中小企業です。

バンド始めた高校生時代

再びバスケ部に入ったんですけど、「辛いだけじゃね?てか才能なくね?」という事実に気づいたので、高1の夏休みくらいに辞めました。早めの撤退。で、今でも仲の良いカオルという友人に当時流行っていた洋楽のメロコアを教えてもらって、衝撃を受けた。

この動画今見ても胸が熱くなる。厨二病な僕は「邦楽は全てクソ。洋楽マジ最高!」となった。ハイスタも「日本人じゃね?」という理由だけで全く聴かなかった。で、友達が始めたバンドに「俺も混ぜてくれ!」って乱入し、ソロが弾けないリードギタリストが爆誕した。
さらに、「俺はアメリカ人だ」と言わんばかりに、LASTBANDITというバンT屋やJUSTROCKという通販サイトで買ったバンTを着、ディッキーズを履き、バックルがクソでかいベルトを通し、VANSを履き、バックパックにこれでもかと言わんばかりのパッチや缶バッチを着けていた。形から入る癖は今になっても抜けない。
高2にあがる時に文系に行くか理系に行くかの選択を迫られたんですが、父親が経営者だし文系の大学卒業してるからから、「なんとなく文系かな?」と思ってたら再び母親から「理系にしなさい。潰しが効くから」と。
短大出のくせに何わかったようなこと言ってるんだと思いましたが、基本素直なので従いました。めちゃくちゃいい子だな。
うちの会社は金属関係の会社で、どこの大学行こうかなと思ったときに大学ランキング的な本を読んでたら、「金属と言えば東北大学だ!」と書いてあったので、じゃそこにしようと。
模試でもB判定だったので、行けるかなと思ってたら落ちましたね。まあまあ進学校だったので、360人中100人くらい浪人するし、初志貫徹で東北大学を目指して浪人しようと。

親に感謝の浪人生時代

岡山の高校は浪人生が通う「補習科」という建屋があって、格安で浪人できるので通ってました。夏頃になるとその環境にも飽きてきて、「いっちょ予備校の夏期講習でも行ってみっか!」と思って京都の駿台に数日通いました。これが衝撃でした。

 

 
 
先生の質が全く違う!
 
 
 
そりゃあ公立高校の先生と、言ったら私立みたいな予備校の先生の質は雲泥の差で、目から鱗でした。で、あと半年通うなら予備校の方が絶対刺激的だと思ったので、親に「京都の駿台に通わせてくれ」とお願いしたら、親は快諾してくれたんですよね。
 
正直お金は補習科に通うより何十倍もかかる。けど、そういうのにポンとお金を出してくれた親には本当に感謝しています。今だから思いますけど、この時の経験が「子供がやりたいことを簡単に叶えてあげられるぐらい稼ぎたい」という僕の将来の夢に繋がったなと思います。
で、無事東北大学に合格しました。早稲田も受かって、恐らく一番東京を楽しめる時期に東京に住めるチャンスだったんですけど、東北大学は最初から行きたいところだったし。「東京に住んだことがある人生もあったんだな」とは思いますが。

仙台に行ってよかった大学生時代

そんなこんなで仙台で大学生活が始まったわけです。仙台の親善大使に任命されてもいいのでは?と思うくらい、詳しくはないけど好きです。思い出いっぱい。

サークルは軽音サークルに入りました。4つくらいサークルがあるんですが、「オリジナルに特化している」という点と、部室見学でたまたま見たroomというバンドがクソかっこよかったからです。
大学生の趣味のレベルじゃねーだろ…笑
外でオリジナルのバンドでライブしつつ、年4回ある定期演奏会ではコピーバンドをしまくりました。合ってるかどうかは置いといて、耳コピめっちゃした。単純計算で50バンドくらい?曲数にして1バンド4曲として200曲。やはり上達の最短ルートはコピーですね。今に生きまくってる。
サークルや音楽活動が楽しすぎて、そっちにばっか時間使ってたら彼女にフラれました。
バイトはカフェ店員を3年半ほどしてました。理由は「女の子いっぱいいるから」。「モテ」をはき違えていたため、ただその環境に身を置くだけでは何も変わりませんでしたね。分かったことはただ一つ。
 
 
 
秋田出身の子、マジでかわいい
 
 
 
学科の友人にも恵まれ、留年することなく進級して、大学4年の時はアルミのリサイクル、大学院の時はリチウムイオン電池の次に来る電池の研究をしてました。
大学院卒業してすぐ実家に戻る選択肢がなかったわけではありませんが、父親に倣ってとりあえず3年武者修行してこようと思って、普通に就活しました。業界は、学科の友達がほぼメーカーの技術職だったので、無難にメーカーで。
そして実家の会社が中小企業なので、大企業の世界を見ておいた方がいいなと思って大企業に絞りました。というのは建前で、本音は「そりゃ大企業に行けるなら、大企業の方がよくね?」ぐらいの気持ちです。
運がいいことに最終的に東レと村田製作所の2社から内々定をもらえて、推薦で受けた企業を断ると大学の評判が落ちるらしく、東レにしました。分かりやすい製品だとユニクロのヒートテックとか作ってます。あとは飛行機のボディに使われている炭素繊維とか。
「金属の会社じゃないやん!」とツッコミが入りそうですが、結果的に大学で金属(無機)、社会人になって有機と、両方に触れることができてよかったなと思います。

いろいろ知れた東レ時代

さすが大企業だけあって日本全国いろんなところに勤務地があるんですが、創業の地・滋賀配属はなかなか運がよかった。京都まで電車で15分。今やってるExcuse To Travelというバンドが組めたのも、この距離感のおかげかなと。

事業としてはスマホのディスプレイ関連で、会社の中では成長期的な位置にある製品に携わっていました。部署は技術部と呼ばれるところで、研究所→生産部の間に位置する、いわゆるなんでも屋、悪く言えばただの泥臭い部署でした。
しかしこれがなかなか面白くて、大学で「これ製品として世の中に出るの100年後ぐらいでは?」みたいなことをやっていた身としては、在籍してた3年間で研究試作品がある程度の量産品になったりするのを目の前で見れたのはすごくいい経験になりました。
幸い人にも恵まれて、辞めるときにたくさん送別会開いてもらえました。この僕が。
ただ、一人カス上司がいて、何回かキレました。この僕が。
いませんか?マジで味方がいない人。全員に悪く言われてる人。
 
大企業だとこういう人でもクビにならないんだ~って思いました。大企業すごい。課長に「あんなカスいるんですね」って言ったら、「世の中にはもっとひどいのが普通にいるよ笑」と言っててビビった。笑
あともう1点不満があるとすれば、3~4人くらいの非公式飲み会でも仕事の話しかしない人がまあまあいる。しかも大抵ネガティブな話題。仕事以外のもっと楽しい話しませんか?と。いや、真面目でいいと思うんですけど。
でも総じて、東レには感謝しかないです。僕の社会人としての基礎を作ってもらいました。ありがとうございました。

で、岡山帰ってきました

で、3年前に岡山に帰ってきました。
2年弱くらいの現場勤務を経て、今は事務所勤務ですけどまあ色々ありますね。
これからも頑張るぞ!という気持ちです。長いことお付き合いありがとうございました。